京都は地蔵信仰が盛んだ。町の至るところに地蔵を見る。ある程度彫刻の施されているものもあれば、ほとんど自然石に近い簡素なものもある。年月による摩耗も少なくなかろうが、そのままに拝み続ける点もまた、日本のアニミズム的感性を思わせる。小さな一つ一つが確かな魂を宿し、地域の人々に愛されている。愛されることで、その魂をさらに色濃くしている。
アトリエの壁に並ぶスクエアを眺めながら、烏滸がましい言だが、これらが地蔵のように在って欲しいと思った。そう願いながら、僕はスクエアに絵具を塗り込む。
京都は地蔵信仰が盛んだ。町の至るところに地蔵を見る。ある程度彫刻の施されているものもあれば、ほとんど自然石に近い簡素なものもある。年月による摩耗も少なくなかろうが、そのままに拝み続ける点もまた、日本のアニミズム的感性を思わせる。小さな一つ一つが確かな魂を宿し、地域の人々に愛されている。愛されることで、その魂をさらに色濃くしている。
アトリエの壁に並ぶスクエアを眺めながら、烏滸がましい言だが、これらが地蔵のように在って欲しいと思った。そう願いながら、僕はスクエアに絵具を塗り込む。