My Squares
私は私に一つのルールを課す。すなわち、正方形のキャンバスに正方形を表すこと。それに当たり、定規を四度使うような直線的手法は採らない。反対に、なるべく目的地に行き着かぬよう、偶然性をたっぷり含む絵具の付け方(あるいは剥ぎ取り方)を選択する。それでも、キャンバスの前で動くのは私の身体であり、私のパレットを以て作業は進められ、何より正方形という最も理性的で人工的な形体をゴールとする以上、この絵画の骨組みは「必然的なもの」である。私の正方形は、必然の心棒に無数の偶然の纏わり付いたものとして立ち現れる。それは、我々の生のメタファーとなり得るのではないか。「この道」を選ぶのは我々自身だが、その途上では無数のハプニングに遭遇する。それらを引き受けつつ形作って行く、我々の人生のメタファーに。
この連作の第二の目的は、マルセル・デュシャンを葬ることだ。デュシャン(デュシャンピアンと言うべきかもしれないが)を源泉とするコンテンポラリーアートにおいて、とかく「何を描くか」が先行し、作品は時に思想や政治的主張の、あるいはコンセプトやメッセージの媒介物、言語のおまけに過ぎなくなっている。その状況に対し、私は正方形を以て異議申し立てを行う。正方形 という極力意味性の薄いモチーフを選択し、「どう描くか」に特化することで、絵画のモノとしての強さを復興する。言語管轄外の大地を掘り起こす。そして「どう描くか」は結局、その画家が「何を描くか」を炙り出すだろう。画家は、アーティストである前に画家なのだ。我々は、コンテンポラリーアートの、ポストモダンの、言語の狭小な監獄に住まう囚人ではない。絵は、灰白質を突き破り、全身を駆け巡る。
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